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4年越しに行けます

4年越しに行けることになりました!!!!

嬉しい!

従兄弟が働く相模原の支援学校に歌いに行きます
2月19日
2020年に計画しましたがコロナで出来ませんでした
再度、従兄弟が企画してくれました
ありがたいことです

この支援学校は妹が暮らしていた町や入院していた病院が近いので
嬉しい気持ちです

4年前の投稿をシェアしました

【4年前のfacebookの投稿より↓】

会いたい人がいる

先日相模原に行った時にまた強く思う
生きてるうちに会いたい
従兄弟が繋いでくれた相模原と思い出と未来への思いをブログに書きました https://iwa-ken.com
28年間会いたい人がいます
個人的なことだったり長文なのでブログに書きましたが 繋がってくれたらと思って、、、長文です失礼します

いわけんブログより
相模原に住む従兄弟が職場の学校でのライブを企画してくれた事から湧き上がった事を書きました

「全部抱きしめて」

従兄弟の支援学校で歌うことになり 神奈川県立養護学校へ挨拶に行きました
従兄弟の職場はとても温かかった、きっと従兄弟の人柄が僕への対応に繋がっているのだろうと思うと嬉しかった

山梨以外の支援学校、養護学校へ行くのは初めて
日本中に此処にいるのと同じような子どもたちや、その家族がいるんだなぁといつもより強く想像させてくれました
従兄弟が挨拶をして紹介してくれました
この時もとても温かく迎えてくれました
3月9日が楽しみです、歌ったり踊ったり、合奏したりしたいと考えてます
カンボジアの写真も見せてほしいというのでスライドショーを準備します

相模原
相模原というと妹の住んでた町
北里大学病院がある町

平成3年1月8日~4月24日お世話になった場所
あれから28年
あっという間のようではあるが
毎年この時期になると 身体が思い出して沈みがちになってしまう時期
あの時のことを知るものがいないから話すことなく来てしまってるから 本当になっていないというか そんな感じです、だから歌にして聞いてもらっているのかもしれません
いろんな決断があれでよかったのかと後悔することもある
いつまでも と思われてしまうけど 何年経ってもさみしくなります
まるで花粉症みたいに反応してしまう時期
会いたい
従兄弟の学校終わってから帰ろうと思って車走らせたら 躊躇する間も無く着いてしまった
従兄弟が呼んでくれたんだねと感謝です
病院はすっかり新しくなってしまったけど 感じます
ここに確かにいたこと
毎日祈っていました
当時会社勤めの僕でしたが 休んで来ていました
会社へ行こうと準備していても 結局向かったのは病院でした
留守電のマイクロテープから流れて来る声を聞いたらいてもたってもいられませんでした
毎日現れると 病気のことが怪しまれるから 近くまで来ていました
悪性角膜肉腫、関節に出来る珍しい癌
病棟のロビーまで来て仲良くなった看護師さんに様子聞いて帰る そんな毎日でした
余命を宣告され毎日会いたいと思い 出来るだけ来てしまいました
母はこの時も精神病院に入院でしたから 母にも病気のことは言えませんでした
でも 知っていたかもしれません
妹も知っていたかもしれません
当時 フィアンセのいた妹、彼が近くで支えせてくれました
伊東君、元気ですか?
家の近くの山梨医大での転院もすすめられましたが 彼が近くにいる北里大学病院で過ごすことを決めました、この決断だけは間違ってなかったと思う、妹も彼と一緒で嬉しそうだった
最後の外泊は焼肉だったそうだ、嬉しそうに話してくれた
彼も辛かっただろうな パートナーが亡くなるなんて考えただけで悲しい
彼に会いたいという気持ちもあって東京で歌い始めた、何処にいるのかな、、幸せでいてくれるといいな
会いたい
僕の 生きる力、会いたい
今日は久々に妹の住んでた町 相模原と最期の場所 北里大学病院に来れた
従兄弟に感謝
そして、妹とよく行った北里大学病院前の不二家に28年ぶりに来れました
待ち人の案内に1人だけど「いわさき 2名」と書いてしまった
とっさにそうしてしまった
席に通されて 座ったら涙が溢れちゃった
体が温かくなって涙も溢れてしまった
不二家から眺める北里大学病院、2月、車椅子引いて
28年前と同じようにホットケーキを食べました
もう涙で味もよくわからんかった
でも なんか嬉しい
喜びに包まれました
今度は妻を誘って来よう
話を聞いてもらうんだ
母は娘が旅立つ日に どういうことか全く不思議だけど 山梨からタクシー使って北里大学病院へやって来ました
母の病気は躁鬱病、父が亡くなってからそんな感じなのですが この時も良くない状態にかかわらず 母は娘の元へやって来ました
誰も伝えていないのに(もしかすると看護師さんがそうしてくれたのかもしれません、、)
最期 看取ることが出来たのです
まさに奇跡が起こりました
母ははっきりとした意識ではなかったけど 娘の隣で寝ていました
髪の毛を撫でて笑っていました、娘はチューリップの歌を歌っていました
間も無く息を引き取りました
僕は涙が出るとか悲しいとかそんなことよりも 目の前の光景が壮絶過ぎて 僕も嬉しかった
家族が久しぶりに一緒になったなぁという安心感に包まれました
今日も ホットケーキを食べて嬉しい気持ちです
また頑張ろう、そんな気持ち
母は強い、そして凄い、ほんとにスゴイ!
大学病院なので解剖をすすめられましたが 僕よりも早く母は「ダメです」と言ってました
はっきりとした意識ではない母でしたが
あれは 確かに僕がよく知ってる「お母さん」でした
今思い出しても鳥肌が立ちます
親子三人で相模原から山梨へ帰りました
春の雨が降っていました
母との思い出も作りたいな
家族旅行なんていいな
今年 わんちゃんが亡くなった時 妻が 僕が妹やお父さんに会いたいと思うのはこういう気持ちなんだねと言いながら泣いてくれました
嬉しかった
久しぶりの相模原、北里大学病院
家族を思い出せた温かい時間になりました
そんな壮絶な4ヶ月を共に過ごし闘い励ましあった伊東君に会いたい
従兄弟に感謝します
3月9日はまた来ます
従兄弟の学校で歌います
なんか色々繋がって嬉しい
身体がほぐれました
さて 帰ります
そして歌います、全部抱きしめて!
2020.2.6 相模原

従兄弟に感謝
伊東君、元気ですか

 

2024.02.10 [ ブログ ]

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